
1989年には次の問題が生じた。
・掘削作業の後、予定していた商業用建築物/ホテルの開発が中断した。このため、モノレールに隣接した場所に“穴”が残り、シドニーでも悪評が立った。この穴にたまった水が景観を損ね、住民にも迷惑をかけた。
・ダーリング・ウォークと呼ばれるファミリー向けの娯楽地区を計画したプロジェクトが中断した。工事を中止した場所は爆撃を受けた後のようになった。
・1988年に新しい州政府が成立した。新州政府はダーリング・ハーバーに建設を予定していたカジノ許可法令を取り消した。このためにCBDとダーリング・ハーバーの間の3.5ヘクタールの中心的な歩道エリアが何もないままに残ってしまった。
・大手建設会社が倒産してしまい、オーソリティーがリースする場所に予定していた36階建ての業務用オフイス・タワーの建設が中断した。このプロジェクトはその後所有者が3回代わり、元々の建築作業は破棄された。代わりに住宅用タワーが今年完成する予定である。このプロジェクトの建設作業は8年間におよんだ。
・臨港フェスティバルーマーケット・プレイスの所有者たちの不動産物件が売却不可能になったことから財政難に陥り、事実上銀行がこのマーケット・プレイスの管理をすることになった。
・議会の公聴会がオーソリティーの業務遂行能力と効率性、有効性を調査した。・州政府はオーソリティーの役員を解雇し、ほとんどの上級管理職は民間企業に移行した。
これらのことが積み重なり、このプロジェクトは壊滅的な状況となったかに見えた。それでもダーリング・ハーバーの公共エリアと施設はとてもうまく機能し続けた。しかし上述の影響により、1993年ごろにはダーリング・ハーバーにはこれ以上の新しいアトラクション施設建設はないという印象が濃くなってきた。このためオーソリティーは、公共イベントとフェスティバルを数多く開催し、その拠り所は政府の補助金に求める事となった。もちろん公的資金の支出は常に検討され、できるだけ削減された。このためにダーリング・ハーバーでどの程度楽しめるものかという不安にいつも晒される結果となった。
ダーリング・ハーバーが直面した開発問題は、何もダーリング・ハーバーだけに限ったものではなかった。1987年には全国的な不動産価格の下落が起こり、シドニーで最も実績のある開発業者たちを不意打ちしたのである。
ダーリング・ハーバーはこの資産価値下落の影響を受けたが、実際のところまだましな方だった。ダーリング・ハーバーでは必要とされていた特殊な娯楽施設よりも、ホテル、住宅、業務用オフィスといった従来からの地域における建設が進んだ。民間企業は次のプロジェクトを1990年から1995年の期間に実施した。
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